教員リレーエッセイ

2011.10.24  <教員 K.F>

 新幹線で懐かしい本を読んでいる人を見かけた。
 「イスラーム思想史」、井筒俊彦のの古典的名著だ。
 とかくヨーロッパの、それもキリスト教系の文化と歴史にはなぜか目がない日本人は、東洋の思惟の深みと高みにはなぜかあまり目を向けようとしない。
 黒船に脅かされて、ふがいなくも国家数百年の矜持とその先数百年の歴史とをいともたやすく明け渡してしまった先祖のコンプレックスをそのまま引きずっている自分のDNAを避けてのことだろうか。
 欧米の一方的な価値観をそのまま受け入れることに慣れてしまった日本人は、自分たちが昔から持っていた自然な感性を信じようとしない。
 怪しいものを怪しいと疑う、地に足がついた自分の感覚を信じることができない。
 交通も通信も身の丈に沿うくらいのものでしかなかった時代の感覚は、今よりずっと鋭敏なものであったはずだ。
 身のまわりに起こることに敏感に反応する感覚があれば、同じ類(たぐい)の出来事が数百キロ離れた場所で起こっても即座に反応できる。一方で、数百キロ離れたところで起こることをTVの画面で見て実感していると思い込んでいても、安直に「戦争反対!」とくらいしか叫べないのかもしれない。
 黒船が来る前の日本人は、今的な「国家」という観念を持っていなかったのではないかと思う。
 国家が統制する「公教育」が無かった時には、信じられるのは、「国家」などというブランドではなく、地に足のついた自分の生活とそれに関連する身近な出来事であったかもしれない。だから、遠くで起こったことを身近に感じ、身近で起こることを地球規模に敷衍できる感性が備わったと思う。
 それがいつの間にか数百キロ離れたところで生活する人の目先の利益を反映した価値観を頭の中だけで理解したように思い、世の中すべてに通じる価値観だと錯覚するようになってしまった。
 津波ですべてを流されてしまったこれまでの自分たちの生活をひとつひとつ取り戻すべく努力する過程で、僕たちは先祖の持っていた、こつこつと身のまわりの生活を築き上げ、そこから世の中のすべてのことを感じ取ろうとしてきた時代の感覚を取り戻すことができるのだろうか。
 「旦那はいけない、私は手傷」1876年、神風連の乱で殺害された熊本鎮台司令官種田政明の妾小勝が、熊本から東京に打った電報の文面だ。この電文は当時、新聞を通じて流行語のように取り扱われたそうだ。
 日陰の身ながら一生を添い遂げようと決心していた女性が、自分の愛しい男がつながっていた「世界」の人たちに現状を必死に伝えようとした文章だ。愛しい男を通じて自分が国家と世界とどんな風につながっているかを、いつも必死に考えながら生きていることを、たった1行の電文で表現した名文だと思う。
 だからこそ当時の人たちの心を打ったのだろう。
 こんなに生々しい文章を今の僕たちは書けるのだろうか。
 「イスラーム」という言葉を聞くと、バクダンを体に巻き付けた狂信的な人をイメージする僕たちは、本当のイスラームを知っているのだろうか。そして、バクダンを身につけて死んでいく人の気持ちを感じられているのだろうか。それは単に「洗脳」された人たちなのだろうか。
 少なくとも、一所懸命に生きる自分と、世界で起こっていることを客観的に冷静に理解する自分を、同じ体の中に持っていなければできないことではなかろうか。